私の死生観

silverです。

 

”死生観”

私がパニック障害を患っていた頃は

死を極端に恐れていました。

初めて死を目の当たりにしたのが

小学生の頃で、

(↓過去リンク)

私のトラウマ - メンタリストに私もなりたい!

 

自殺現場という衝撃が

私の脳裏に恐怖として焼き付いたのかもしれません。 

自分があんな風に死んだらどうしよう。

死んだ後はどうなるのか。

普通、人はベッドの上で死ぬのではないのか。

なぜこんなことを、この人はしてしまったのか。

終わりのない答えを探して煩悶しました。

 

その頃の暗い記憶がパニック障害の下地に

なったのかはわかりませんが

患ってからは特に死に対する恐怖感が

増えていきました。

初めて経験する人の死が自殺ですから

生活の中で”死”に関する出来事があると

私の脳にストックされている

忌まわしい記憶からたびたび引き出され

恐怖にかられるわけです。

完全に脳内エラーです。

パブロフの犬状態ですね。

”死”という概念が

全て過去の記憶とリンクしてしまいます。

 

このトラウマを引きずりながら

何とかパニック障害を克服し

今となっては夢に出ることもなく

過去の現場に行っても何とも思わなくなりました。

ちゃんとした”死”というのも変ですが

家族の死など、死に対するまともな?経験を経て

”死”に関してもある程度慣れるにつれ

自分の記憶も少しずつ整理され

たびたび不正リンクされていた

脳内エラーも解消されました。

 

私の今の死生観ですが、

私自身は別にいつまでも生きていたいとも

死にたいとも、強い思いはありません。

恐怖感や不安感をほとんど感じなくなった代わりに

死にたくないとか、生きていたいという強い欲望

もないですね。

ニュートラルというか、どっちでもいいというか

生き死にに自分の意識がフォーカスされていないですね。

ただ、家族がいるので

仮に自分が死んだ後の

家族の生活の心配をしてしまうくらいですね。

 

私のメンタルの基本的な考え方は

思考は自分で考えるものでなく

自然に作り出されるものです。

ですので、死生観も今現在のメンタルが

強く反映されるものだと思います。

メンタルをやられそうな出来事に遭遇しても

心の動揺が無い身体、メンタル作りをしていれば

”死にたい””死にたくない”という

余計な感情で満たされることがなくなります。

 

”死”について考え込むというのは

自分のメンタルを量る試金石でもあると思います。

普段いつも通りの生活をしている中で

頭の中で”死”について考えている

ようなメンタルは、あきらかにおかしいです。

早めにカウンセリングを受けるなり

メンタル改善に努めるべきです。

”死”が思考にあらわれたら、

おへその下を意識して、おしりの穴をキュッと

絞って、ゆっくり呼吸しましょう。

必ずニュートラルなメンタルが戻ってくるはず。

 

 ではまた。

silverでした。